2013年9月12日木曜日

おもふこと


何を書こうかな〜、何か楽しいことを…と
いろいろ考えてみたのですが、やはり
この話を書かないと自分のもやもやが
晴れないので書かせて頂きます。

私の母方の祖父母は、みんなから「パパ」「ママ」と
呼ばれていました。もちろん私も、物心ついたころから
おじいちゃんは「パパ」
おばあちゃんは「ママ」
ふたりとも、初孫の私が可愛くて仕方なかったらしく
それはそれは可愛がってもらいました。
2歳半ばまでは、ママのお母さん…ひいばあちゃんも健在で
私は祖父母宅に入り浸りの幼少期を過ごしました。


小学校から一緒だったというパパとママ。
パパはそれなりに苦労を経験していますが、ママは
歯医者さんの娘で、いわゆるお嬢様。
結婚して初めて迎えたお正月、一体何をどうすれば
いいのか分からず、ママは ぽろぽろ泣きながら
パパに相談したと教えてもらいました。
そしたらパパは「いつもどおりでいいんだよ」と
笑って答えてくれたそうです。
「飾りもご馳走もなかったけどね、この人と
一緒になってよかったと思ったわ」と、おせちの
支度をしながら笑うママが、可愛く見えました。


国、数、英、体… といろんな教科の免許を持ち
某高校で教師をしていたパパは、私が何か尋ねると
なんでも答えてくれるスーパーマン。
残念ながら数学と体育の才能は遺伝しなかったけれど
いつも にこにこ笑って見守っていてくれました。


事情があって近年は離れて暮らしていましたが
やっぱり今思い出すのはふたりの笑顔。


だんだん記憶が曖昧になってしまっていたママは
目の前でパパが倒れているのにも気付かなくて、
冷たくなったパパをみんなで運んでいる光景を見ても
理解できず、「パパがいないの」と探していたそうです。

そしてパパを見送った次の日、ママは静かに
パパのベッドで息を引き取りました。

安いドラマか小説みたいな話ですが
私たちは、パパがママをひとりにしておけなくて
連れて行ったんだと信じています。

あれから2ヶ月立った今でも、ふと寂しくなったり
夢を見て夜中に目がさめたりしてしまいます。
私はなんて不幸者だと落ち込んだりもします。

だけど、きっとパパとママは
ふたり一緒で幸せだと思うので
私もちょっとずつ、頑張っていきます。



長話にお付き合い頂き、ありがとうございました。OP:N



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