2012年8月23日木曜日

じいちゃん

携帯電話の留守録に母親からの伝言が入っていました。

「じいちゃんが救急車で運ばれました。とりあえず報告です」

終業時刻の1時間くらい前に気がついて、電話をかけてみると

「意識がなくなって今三時間半が経つ」との返事。


ちょうど1週間前、お墓参りついでに祖父の家に集まって

皆で食事をしました。祖父は、いつものように大きな声を張り上げて

「おい、じいちゃんの話を聞け!!こら、黙れ!!」と叫んで大演説会。

身振り手振りをまじえて、それはもう嬉しそうに・・・

私たちの 「それ聞いたことある」 「じいちゃん、声が大きい」 

そんな野次などおかまいなし。今年も日に焼けて真っ黒になって

家族の誰よりいきいきとしていました。



私と妹のそばに居たくて、貿易船を定年前におりた じいちゃん。

私たちのためになら何でもしてくれました。

朝早く起きてクワガタ採り。眠る前の本の読み聞かせ。

習い事の送り迎え。料理。

遊ぶのもいつも一緒で、公園、花見、プール、貝掘り・・・ 

どこにでも連れて行ってくれました。

中学生になっても、雨が降ると じいちゃんが勝手に

学校に迎えにきて、すれ違う生徒皆に 「ひとみちゃん?違うね」って

声をかけるから、恥ずかしかった。

大人になってからも干渉されすぎて、いーーっぱい喧嘩をしました。

それでも、じいちゃんは私のことが大好きでした。


行けば、目を開けてくれるって信じていたのに、

呼びかけても反応してくれませんでした。

「この2週間が山です」

「いざと言う時、延命するかどうか、相談して決めてください」

先生が誰の話をしているのか、わかりませんでした。



きっと、うちのじいちゃんなら大丈夫。

来年のお盆も自慢気に「三途の川を渡りかけた」と

大声で私たちに語り聞かせてくれるはずです。

眠れずに、こんな時間になってしまいました。

重い話ですみません。

明日も故人のため、ご遺族のため、心を尽くして働きます。

OP 鮎川

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