2011年5月31日火曜日

先月から3ヶ月、6回に渡って
昨年10月に講師としてお越しいただき、
私たちに『グリーフサポート』の手ほどきをしてくださった
(株)GSI・橋爪謙一郎先生のところへ、
研修に行かせていただいています。
学ばせていただいているのは、もちろんグリーフのこと。
『グリーフケア』という言葉、聞いたことがある、という方も
いらっしゃるでしょう。
しかし、橋爪先生は『ケア』ではなく『サポート』という言葉を
理念として掲げていらっしゃいます。
「癒し」たり「治療」したりするのではなく、「支える」。
初めてお話を伺った時、一番 響いたのが、この言葉でした。

電話をかけ「故人様のお話を聞かせて下さい」とお願いする私たちに、
ご遺族の方々は本当に様々なことを話して下さいます。
顔も見たことがない、これからも きっと会うことはない私たちなのに、
まるで古い友人のように親しく語りかけて下さる方もいらっしゃいます。
時には涙ながら、憤りながら、後悔にさいなまれながらのお話に、
言葉が見つからないこと
もあります。
無力感に打ちひしがれながらも
「これを どんなふうに文章にしたらいいのか・・・」と悩んだり
「これで ご遺族のお気持ちが伝わるだろうか・・・」と迷ったりする日々、
何よりの原動力が「喜んで頂けるものを」という想いと、
「ありがとう」という言葉なのです。
私たちに出来ることは、ほんのわずかです。
出来ているのかさえ わからないこともあります。
でも、『グリーフサポート』に出逢ってから、
少しだけ「出来ることがある」と確信を持てたような気がします。
それはきっと、「ありがとう」の言葉に代わって
私たちの支えになるのだと思います。

研修が始まる前、橋爪先生はおっしゃいました。
「人が変わったようになる」「仏のようになった人もいる」
そこを見込まれて研修への参加を任じられたのだと考えると
まだまだ結果は見えないまま・
・・ですが、
学んだことを一つ一つ実践し、心身に刻み、
少しでも良いものをお届けできたら。
そう思いつつ、明日もまた頑張ります。













写真は言わずもがなの東京スカイツリー。
研修会場から見える、というお話だったのですが
確認しそびれたので、こちらの写真にて・・・。
次回は自分の目でしっかり確かめたいと思う白川でした。

2011年5月30日月曜日

マコセとの出逢い

マコセと出逢い、このオリジナルお礼状という仕事に携わることになって

1年と4ヶ月がたとうとしています。

入社する前は「社内は暗い雰囲気なのでは…」という不安がありましたが

それは初日で一気に吹き飛んでしまいました


第一印象はとにかく忙しい(時期もあって)

でもみんな生き生きしていて明るい

そして「ありがとうございます」と「お願いします」という二つの言葉を

どんなに小さなことでも口にし

少しでも手が空けば「何かお手伝いありませんか」と声を掛け合っていました

私はこの仕事とマコセと巡り逢えて、とても幸せを感じています。


ありがとうと1度も言うことがなかったお父さんが最後に口にした「ありがとう」

認知症になり、何も分からなくなっていても言ってくれた「お前がいて良かった」

「生まれ変わっても また一緒になりたいです」という奥様。


そんなたくさんの方々との出逢い。

勉強することもさせられることも多く

家族の愛情の深さに涙するばかりです。


「聞いてくれてありがとう」

「素敵な文章を書いてくれて ありがとう」

この言葉を聞けることが嬉しくて、毎日頑張っています。

もっとお気持ちに添える文章を書けるようになりたい

日々精進の吉永でした。

2011年5月25日水曜日

☆いぢり的徒然草☆

まだまだ親のすねをかじり放題の三十路の私。
実家に住んでおります。
「ごはん!」と言えば御飯にありつけ、気がつけばお風呂がわいています。
帰りが遅くなった日は駅まで迎えに来てくれるという至れり尽くせり。
「ごめんね」と思いながらもかじり放題です。

先日、私が車に乗り込むやいなや
「蛍、見に行く?」
と、にやり後ろを振り向いた父。

「ふぇ?蛍?」

そうです。蛍です。
ははぁ、もうそんな時期でしたか…

疲れも空腹も吹き飛び、父の提案に乗りました。
ゴーゴー!父上!!

30分ほど車を走らせ、いつもの場所へ。
着いた頃にはもうだいぶだいーぶ遅い時間でしたが…

「蛍さん、寝ーやらんじ、飛んじょったねー」
と浮かれて五月蠅い私に
「しーっ」
って言う父とふたり。

ぽわり

ぽわり

浮かぶひかりをしばし堪能。

長いようで短い明滅。

まさに言葉にはできない不思議な気持ち。

あと何度、お父さんとこうやって見られるかな?
実は私が高校生の時に心臓の大きな手術をした父。
お医者さんに覚悟して下さいって言われたこともありました。
毎日いただくお申し込み書には父と近い年齢の方も
いらっしゃって「心臓が…」と言われると
少しどきどきしてしまう私がいます。

が、現在、元気に週一でバレーボールを楽しむような親父。
だいじょうぶ、だいじょうぶ。
来年もまた来よう。

一人しんみりした後、一人でテンションをあげているところ、

「昨日、お母さんと見たときはもっといっぱい…」
とうっかり口をすべらせた父と
「え?昨日も来たのー?」
とまたも五月蠅い私とふたり、笑いながら帰りました。

「娘にも今年も見せてやりたい」
こんなすねかじり虫でもそう思ってくれたのかな?

取材中によくお聞きします。
「もっと親孝行したかった」というお言葉。

少しずつだけど親孝行するからね。
長生きしろよー!!!


鹿児島はあっという間に梅雨入り。
蛍の季節はゆき、紫陽花の季節到来です。


2011年5月20日金曜日

No Music No Life

出勤前の準備時間は、バタバタしながらも毎日緊張します。

少しでもテンションを上げなければ・・・

私にとって、一番の解決方法は音楽聞くこと。

しばらくパソコンのない生活をしていたので、

CDやらラジオを聞いていましたが、ちょっと飽きてきた。。。

iTuneのポッドキャストやネットラジオのご機嫌なナンバーが聞きたい〜

ついに、先日『i pad2』が我が家にきました。

帰宅して、疲れていても好きな音楽を聞けば元気が出てきます。

狭い部屋だけど、お洒落にしてくれる♪

ipadは私にとって心のサプリのひとつかも。

maruta

2011年5月19日木曜日

紫陽花が色づく季節

今日うかがった取材の中に、こんなお話がありました。
お父さんが亡くなったショックが大きくて、
アルツハイマーを患うようになったお母さん。
最近では
ご家族の顔やお名前さえ出てこなかったようですが、
雨が降ると、いつのまにか いなくなって
傘を持ってバス停に立っておられたそうです。

娘さんの数は3人。
お母さんが手にしていた傘の数も3本。

病気になっても「子ども達を迎えに行かなくちゃ」という愛情が
お母さんを突き動かしていらっしゃったんですね。
自分の母がもし・・・と考えるだけで、涙が出ます。

うちの母は「ひざに水がたまって足が痛い」とぼやいていますが、
私はずっと忙しさにかまけて聞こえないふりをしていました。
昨日たまたま『花かごしま2011』という催しのチケットをいただいたので
一緒に出かけ、しんどそうに歩くのを見て随分反省しました。
ついでに
「痒いと思って、小指を耳に入れたら鼓膜がやぶけた」とも言いました。
なんじゃそりゃ!?です。
心配すぎて腹が立つ・・・
わがままな二女は、とにかく腹が立って仕方がありません。
元気でいてもらわなきゃ困る。これが本音です。
同じ市内に住むとは言え、なかなか顔を見せない私に
「元気でいればいいのよ」という母を
もう少し大事にしようと思った一日でした。

※が、しかし、その後ちゃっかり母に飯を炊かせ、
大量のおにぎりを握ってもらい、
「非常食」と称して冷凍庫に放り込むあたり
私の反省も持って三日が限界かな・・・ 

お礼状制作部  森田

2011年5月18日水曜日

重なる面影


取材をしていると、お亡くなりの方の年齢が90代、
次の取材も90代、その次は100歳超え…
なんてこともそう珍しいことではありません。

「ついこの間まで店先に座って、家業の手伝いをしていましたよ」
「去年の夏は畑で農作業をしていました」
「施設に入って十数年…私達の顔を見るたび、嬉しそうに笑ってくれました」

どなたも最後の一瞬まで、与えられた命を輝かせています。

私の祖父母も3人が健在。
最も高齢である父方の祖母は、祖父を看取って11年…
92歳になる現在も一人暮らしを続けています。
周りの方々は「元気でいいね」そうおっしゃいますが
子供が成長するスピードと同じように
この2、3年目に見えて「老い」が進んでいます。
もう杖をつかずには1歩も歩けません。
玄関でどれだけ大きな声で「こんにちは」と叫んでも
聞こえず、近くまで行って「ばあちゃん」と声を掛けても
気が付かず… 背中をポンと叩くと「わぁっ!」と言って
驚くのが常です。

それでも私が訪ねてゆけば、どんなに寒い日も大雨の日も
「ご飯を食べに行こうか」そう言って、外出の支度を始めます。
着替えをするのもゆっくりゆっくり…
ボタンひとつかけるのにさえ、随分時間がかかるようになりました。
昔はお出かけと言えば、祖母が手を引いてくれたものですが
今では私が小さくなった柔らかな手を引きます。
お決まりの『会計はどっち!?』の闘いでは「ばぁちゃんに
ご馳走させて。私が払いたい!!」と半ば怒りながら財布を差し出す祖母。
一人で寂しい毎日を過ごしながらも、大好きだった祖父の元へ
行きたいとは言わず「まだ死にたくない。孫が可愛くて
孫の一生が気になるもの」と言って、私たちより長生きをねらっています。
取材で大切なご家族を亡くされた遺族と話をするたびに
重なる面影…。
人生とは限られた時間
祖父母ばかりでなく、日頃から周りの大切な人達へ素直に想いを伝えてゆける
人でありたいと願っています。

より良い礼状が作れるよう、今日も模索中の鮎川でした。

2011年5月17日火曜日

ささやかな決意

『充実した一日が 幸せな眠りをもたらすように

 充実した一生は 幸福な死をもたらす』


レオナルド ダ ヴィンチの言葉だと

昔読んでいたマンガの中に出てきました。


(内容はうろ覚えなのですが…)


「若いうちはわからなくていい。

ただ、『あぁ、今日は楽しかったなぁ』

『明日はもっと素敵な一日になるかもしれない』

そうワクワクしながら眠りにつけたなら

それはとても幸せなこと』


えぇ、それってとても幸せなことだと私も思います。


取材させて頂いた中でも、何度も耳にしたお言葉。

父は、母は、あの人は、

「とても幸せだったと思います」


自分の大切な人が亡くなったとき胸を張って

そう言えるかではなく、

自分が死んだとき、大切な人たちに胸を張って

そう言ってもらいたいと、ふと考えてみました。

けれどまだまだ難しくて


「若いうちはわからなくていい」


そうだ今日、布団の中で「楽しかった」と

思えるように毎日を精一杯生きていこう。


中尾でした。


2011年5月15日日曜日

出会いに感謝

ご存知の方もいらっしゃるように
私の友達は春空のかなたへ羽ばたいてゆきました。

当たり前ですが、失恋した時より泣きました。
お別れの日は偶然にも連休にあたり、
片道6時間かけて会いに・・・。


あぁして、身近な人を亡くしてみると
いろいろなことが分かります。
なんで、あの子の名前が『故 ●● 儀』と書かれているのか、
目にした瞬間、(あー本当にいないんだ)という
現実が押し寄せ、私は着いてすぐに「あれ嫌だ」と
言いました。輝くような笑顔の写真が『故人の思い出』と
飾られているのも、私の中ではまだ『故人』になって
いないから、すごく抵抗を感じて。

祭壇を見れば「なんで、あんたはそこで笑ってるの?」と
怒りたくなるし、わざと明るく走り回っている彼女の
双子たちに、かける言葉も見つからず、呆然と眺めて
いました。

彼女に明日は来ないのに、私たちはお腹がすくし、
眠くなるし・・・どんなに悲しんでも、皆それぞれに
待ってはくれない現実の生活があることも虚しく
感じました。

彼女のお父さんは「俺が一緒にいってやりたい」と話し、
旦那様は「今でも大好きです」と言い、
子供たちは涙こそ見せないものの、祭壇のそばを
決して離れず、最後に「ママの顔をしっかり覚えときな」と
おじいちゃんに言われて、初めて声も出さずに
ぽろぽろ涙をこぼしていました。


友人一同は、これからも今までと同じように
彼女の故郷を訪れ、おじちゃんやおばちゃんと仲良くし、
子供たちにはママがどんな人だったか伝えていくと
誓いました。

短い人生だったけれど、ほかの人の一生分、
皆に愛され、これからも愛されていくのだと思います。
彼女の葬儀にオリジナル礼状はなかったけれど、
彼女との思い出は少しずつ文章にして
残していくつもりです。
いつも双子にとって「ママ」が身近であり、
そばにいなくても頑張れるように。












by 取違

芸の肥やしならぬ、文章の肥やし

今も忘れられない言葉があります。
「私の人生の転機に、きれいな花を添えて下さって、本当にありがとうございました」
半年の間にご両親を相次いで亡くされた方からいただきました。
(偶然にも、お二人とも自分が担当させていただいたのです)
そのときに作成した会葬礼状とお手紙をファイリングし、時折見ることで初心に帰ろうとしています。

日頃から時間をかけて積み重ねた 様々な知識や経験が、後にリアリティのある文章となってフィードバックされていく。私はそう思っています。
技術職の父からは、今の仕事ではあまり役に立たない(前職では凄く役立った)知識を学びました。父の影響を色濃く受けてしまい、内容がどうであれ「作る」という作業が未だに大好きで、時の経つのも忘れます。
子供の頃、ゼリーやリンゴケーキなど、美味しい手作りおやつを作ってくれた母。休みの日には一緒に台所へ立って、料理をすることもあります。が、母の味は なかなか再現できません。気配りが大事だと、何かにつけて教えてくれます。
最近では寝姿を見ているだけでも心和む甥っ子と遊ぶ中、子育てに励む姉&妹の苦労を知り、世のお母さんへ敬意を表しております。同時に、働くお父さんの苦労も…。
何気ないものばかりですが、文章を作る上で役に立つこともあるのです。

この仕事に就き、気がつけば今月末で6年目に突入。どれだけ成長したのか自分では分からないところですが、人生経験や日常生活を通じて視野を広げ、感じる心を大切にしていきたいと思う今日この頃でありました。

オペレーター・江口

2011年5月12日木曜日

取材をして感じること

この仕事に就いてから、若くして亡くなる方が意外と多いのだと知りました。
生まれてまもない赤ちゃん、育ち盛りの学生さん、現役バリバリの会社員の方など…

自分の最期など日頃考えたこともなく、毎日が永遠に続くような気がしていた私は、平和な暮らしが どれほどありがたいか、そして命は限りがあるものなんだなと つくづく感じています。

たくさんの苦労を乗り越えてこられた故人の方々のお話を取材で伺うたび、凄いなぁと感心することばかり。長いようで短いこの人生をどう生きるべきか、私自身 自分に問いかけているところです。                               オペレーター 福山

2011年5月11日水曜日

600通のラブレター

内容と写真は関係ありませんが、寂しいかと思って添えてみました。





先日、『アンビリバボー』というテレビ番組で紹介されていたお話ですが、
御覧になってた方もいらっしゃるかもしれません。

11年間の文通を経て結婚したご夫婦のお話。

中学2年生から始めた手紙のやりとりが紹介されていたのですが
しっかりとした文章力と、考え方に驚かされました。
中学生の頃の私だったら、あんな文章は書けなかったと思います。
いや、今でも書けないかもしれません…

遠距離恋愛だったため、いろいろな障害があったようで
ご夫婦は何度か破局の危機を迎えます。
後にご主人となる志直さんはまだ大学生、奥さんとなる るりさんは社会人。
結婚適齢期を迎えた るりさんと、まだ学生の自分を比較し、
先の見えない未来を案じた志直さんは、手紙で別れを告げます。
その手紙の返事の中に、るりさんはこんなことを書いていました。

「小さな、小さな手をした、綿菓子のような子供。」
「わたしは、あなたの子供が欲しかった。」

この表現を耳にした時、衝撃が走りました。
「綿菓子」という表現の中にある、「可愛い」「甘い」「柔らかい」イメージ。
それにふわふわとした、曖昧な「未来」のイメージが かかっているような気がします。
と、見る側がどんなに分析しても詮無いことですが
表現の自由というものを強く感じました。

心のままに書かれた文章だからこそ、気持ちが伝わりやすいのでしょう。
普段、お礼状を書く時に、「正しい言葉」「綺麗な言葉」を
意識していますが、それに とらわれ過ぎても、
遠回りな表現になってしまうのかもしれません。

たまには、思った通りに書かれた文章を読んで
自分の感性を磨いていきたいと思う、井上でした。

2011年5月9日月曜日

病の話

美しくない話ですので、まずは花でもご覧下さい。

最近、咳が止まりません。病院へと思いつつも足が鈍るのは、以前の治療がトラウマになっているからです。数年前、名医と評判の医者を訪ねました。苦しさを訴える私をよそに、数多の症例を知る高齢の先生は10秒そこらで原因が分かったらしく、生返事をしながら銀色の小さな盆を取り出しました。「それ持って。顎の下にあてて。はい舌を出す」いきなり治療スタートです。「●を治すため★という治療をします」なんて今時のインフォームド・コンセントは全くなし。不安を感じつつ出した私の舌を先生はガーゼで包み、なんと力いっぱい引っ張ったのです。その痛みというか苦しさというか…。皆さんも是非試して頂きたいのですが、舌出してハンカチで包んでググッとやってみましょう。舌の根がちぎれそうだし吐きそうだし拷問でしょう。そこから更に2引っ張りです。もう…どうにかなりそうでしょう。私もなりました。涙も出ました。呻き声まで出てるのに、そんな私の口を先生はこじ開け、ハサミを、小さくない、私達が仕事で使っているような堂々たるハサミを突っ込んだのです。何を切るんだーッとパニック寸前の私の喉の奥で「チョキチョキ」と平和な音が…。結論からいうと、そこにあった患部を切り落としていたのですが、そんなこと分かろうはずもない私には喉を裂かれる疑似体験以外のなにものでもなく。それから更にあれこれあって、治療に要したのは5分程度という短いものでしたが、私はすっかり放心状態でした。今は21世紀なのに治療法は17世紀と同じだなんて二度とゴメンだったのですが、仕事に支障が出ると困るので、とうとう病院に行ってきました、ドナドナな気分で。そしたら素晴らしいことにッ 薬を処方されただけ! よーし!!喜びましたが、1週間経った今も咳が止まりません。それじゃ困るのよ…。仕方がないので近いうちに、かかりつけの整体師のところに行きます。これでダメならもうダメだ。ちなみに伝染病ではありませんので、私がコンコンしてても温かな目で見守って下さると嬉しいです。長々書いちゃった平山でした。

2011年5月5日木曜日

日々刻々と

ある日の休日 外を歩いていたら、マンションのベランダで

悠々と泳ぐ鯉のぼりを見付け、思わず笑みが

こぼれました。

薫風を切って、天にも届きそうな真鯉と緋鯉。

父の仕事の都合で転勤族だった私たち家族は マンション

暮らしが長く、その為 我が家に飾られていた 鯉のぼりも、

随分 コンパクトだったことを思い出しました。

ベランダで揺れる鯉のぼりを誇らしく見上げていた あの頃…

毎年 この季節になれば、遠い日の懐かしい情景がまぶたに

広がり、確かに時が流れていることを実感します。



躑躅(つつじ)のじゅうたんが街を彩る、4~5月。

躑躅(つつじ)という漢語は、「てきちょく」とも

読むそうです。

足踏みしたり、足を止めて立ち止まったり…。

歩行の進まない状態を表す言葉だそう。

その昔 羊がつつじを食べたところ、躑躅して死んでしまったので

こう呼ぶようになったのだとか。

また 咲き誇る美しい姿の見事さに、足を止めてしまう花だとも

言えるかも知れません。慌ただしく過ぎていくなか

ふと立ち止まらせてくれる存在は、忘れていた大切な

何かを気付かせてくれます。


写真は花の名前は分からないのですが、

綺麗だなぁ…と思いカメラのシャッターを押しました。

御存知の方がいらっしゃいましたら、教えて下さい(*^_^*)


                     op 樋原





2011年5月3日火曜日

癒しというか…

知る人ぞ知る、少し前まで韓流マニアだった私。

一年間を優に越え、我が家からツタヤのレンタルバッグがなくなることは

ありませんでした。(ポイントもあっという間に貯まりました(^^)

その頃、我が家のテレビは寝ている時と出掛けている時以外ずっと稼働中

でも一週間にDVD10本視聴というハイペースは、いつの間にか『楽しみ』を

越えて、『義務感』になっていたような気がします ^_^;


そのマイブームが去ってから早2年近くになるでしょうか。

そしてまた再来の予感です。

でも今は韓国の棚には足が向かず、「Yes we Can !

韓流はなかなか取っつきにくい方もいらっしゃるでしょうが、

アメリカならば!?というわけで、『Lie to me』という

ドラマをおすすめします。

「私に嘘をついてみろ!」って、かなり挑戦的なタイトルで、

劇中の会話の内容も現実にあったら完全に人間関係崩壊という

感じなのですが、その軽妙なトークと駆け引きに吸い込まれ

ました(*^^)v




それともう一本。

まったりしたい方、国際結婚をお考えの方におすすめなのが

『ダーリンは外国人』

タイトルのまんまです。でも何だか面白いです。

「ぶん殴るの『ぶん』って何?」あたりが特に(^^)





韓流を見ていた頃は、ありえないほど『クサイ』セリフを会葬礼状に

ちょっと拝借したこともありましたが、今は少しも使えそうに

ありませんσ(^◇^;)

これからは、もっともっと心揺さぶられるような作品に出逢って、

感性を磨いていきたいと思います。


オペレーター 篠原