2011年3月31日木曜日

ありがとう(^‐^)

気が付けば年を越してから3ヶ月が経ち、明日から4月。

新年度の始まりと同時に新生活がスタートするという方も

いらっしゃるのではないでしょうか。

私自身 昨年の同じ時期と今を比べると、状況がガラリと変わりました。

macoseに入社してまだまだ1年足らずですが、

お礼状の取材を通して多くの人の人生に触れ、多くのことを学ばせていただいた

この1年は、これまでにないくらい濃いものでした。


幼い息子様を亡くされた悲しみの中でも「良い文章を書いてほしいから、

何でも聞いてください」と言ってくださったお父様や、

「身内が言うのもおかしいけれど・・・」と前置きしながら故人様の良い所を

次から次へと話してくださる方、時には駄洒落好きなご主人が言っていた

ネタを披露してくださった奥様・・・思わず一緒になって笑ってしまいました。


そして取材でよく耳にするのがありがとうという言葉。

「最後におかけしたい言葉はないですか」と尋ねた時に

ご遺族から故人様への思いとして聞くことが多いですが、

年齢や病で体の自由がきかなくなり 人の手が必要となった故人様が

支えてくれる家族や病院のスタッフ、介護施設の方々に

ありがとう、ありがとう

言っていた姿が印象的だったというのをよく聞きます。


文字にすると、たった5つ字で成り立っている言葉ですが、

そこには様々な気持ちが込められているように思います。


下の写真は私がよく会社で飲んでいる紙パックの野菜ジュース。

もともと長方体をしているのですが、飲み終わってたたむと、

それまでには見えていたなかったところに

たたんでくれてありがとうの文字が!!

私は ただクセで畳んだだけだったので、感動してしまいました☆

コレも消費者の心理をつく企業の戦略のひとつといえばそうかもしれませんが、

私としてはこの一言ですごく心があったかくなりました。



そしてそんな感動に浸ったころから間をおかずに目にしたのが2枚目のお写真。

これはとあるお菓子の箱のそこから出てきたものです。 「ありがとう」

近いところでは家族同士や友達同士、職場の同僚などで交され、

最近では被災された方からボランティアの方へ贈られている様子も目にしました。

聞きなれた言葉ではありますが、 取材を通して、自分自身の体験を通して

私は改めて言葉の持つ力を実感したように思います。


うまくまとまらず思いのほか長文になってしまいましたが、

読んでくださってありがとうございました。


どんな時でも感謝の心と優しさを忘れずにいられるよう努めたいと思った

ope 岩島でした。

明日ノニッポンヲ担ウ子供達

昨年末に二人目の出産で里帰りしていた妹。

二月に入り、ようやく東京へ帰ったと思った矢先のこの震災。。。

幼児と乳幼児を連れて再び、実家へと避難してきました。


余震は続き、計画停電や水の問題、、、

これから日本はどうなるのでしょうか。

日々報道される被災地の光景、被災者の声に胸がしめつけられます。

ジャージ姿の中学生の女の子が、

「おかあさーん おかあさーん」と悲痛の声で

母親をさがしていた姿は自分の娘と重なり、涙がこみあげました。


被災地の皆様には、心からお見舞い申し上げます。


本当に。。。





ところで、娘も4月から4年生。

分数の通分をしていた算数のノートをみて、成長していることを

実感しました。(笑)ついこの前まで、「山」とか「川」くらいしか

書けないと思っていたのに。。。

いつのまにか私の若かりし頃(すりむぼでぃだった頃)の服を

着れるようになり、

一年生の時に買った学校の制服は当然、つんつるてん。

小学生にはありがちなスタイルですが、気付いてあげられなかった

ママが悪かったと反省しております。


さすがにこの春休みには新調してあげようと思ってます。



心の成長ぶりも順調な仕上がりです。

この震災の報道をみれば涙を流し、募金を募る人がいれば

素通りすることはできないと、私の財布をあさります。

友達同士で被災地へ手紙を書いたり、何かできることを

したいといろいろ書き出していました。


この先のニッポンを担っていくこの子達が、

このまま 思いやりの気持ちを忘れずに育ってくれることを

切に願っています。


OP yoshimura

「とっても幸せでした」

毎日のように取材をしていると、必ず心に響く言葉に出会います。
最近一番ぐっと来たのは

「『とっても幸せでした。ありがとう』と言いたいですね」
という言葉。


私が泣きたくなるほど感動したのには、
いろいろ理由があると思いますが、
50年以上を共にした80歳過ぎの奥様がご主人へ向けて
贈ったメッセージだからこそ、ずしんとした
重みがあったんだと思います。
悲しみに満ちた声ではなく、一緒に歩んだ日々が
大変満足のいくものだったという温かく、優しい声で

「そうですねぇ…ふふ^^*
『とっても幸せでしたよ、ありがとう』と言いたいですね
本当にそうだったんですよ」


うちの両親も互いにそう言えるんだろうか。
私は いつかそう言えるんだろうか。
私と半世紀以上を共にしてくれる奇特な人が現れたら
相方は私と歩んだ人生の終わりに「幸せだった」と涙を浮かべながらも
精一杯の笑顔で言ってくれるんだろうか。

いろいろなことを考えました。

思い通りにはいかなくても、いつか「幸せだった」と言える人生を歩みたい、
この仕事をするまでは、『今』ばかりが大事で、あまり考えたことの
なかったことかもしれません。






by 取違

2011年3月30日水曜日

一人の手


この度の震災により被害を受けられた皆様へ

謹んでお見舞いを申し上げます。




被災地の様子を目の当たりにして


心に浮かんだ歌がありました。


それは30年以上前、小学校1年生の時


担任の先生に習った「一人の手」という歌






「ひとりの小さな手 何もできないけど


それでも みんなの手と手をあわせれば


何かできる 何かできる




ひとりの小さな目  何も見えないけど


それでも みんなの瞳(ひとみ)でみつめれば


何か見える 何か見える   




ひとりの小さな声 何も言えないけど


それでも みんなの声が集まれば


何か言える 何か言える




ひとりで歩く道 遠くてつらいけど


それでも みんなのあしぶみ響かせば


楽しくなる  長い道も




ひとりの人間は  とても弱いけど


それでも みんなが集まれば


強くなれる  強くなれる 」






宮城県の避難所となっている中学校で


歌で皆を元気づけたいとおっしゃる先生が、


この歌詞を黒板に貼り出していらっしゃるのを見て


改めて胸に響きました。




ただ現実問題として 今私にできるのは


ささやかな募金くらい。


けれど わずかな気持ちが合わされば、


きっと大きな力になる。




そう信じて、自分にできることを


1年先も2年先も続けていきたいと思います。


一日も早い復興を願い


 






マコセ 前田

誕生日はやっぱり大切な日・・・

OPとしてまだ間もない私ですが、いろんな面で人生観が変わりました。
言葉では上手く説明できませんが・・・

私事ですが、今月は母の70回目の誕生日です。
今年の誕生日は特別です。
元気印だった母が、昨年 大手術を2回もする病気をしました。
(こんな事をブログに書いたら母に怒られそうですが…内緒にしよう♪)
今では、この人本当に病気だったの?と言うくらいです(-_-)
退院後すぐに迎えた昨年の誕生日は、埼玉にいる叔母も駆け付けて。
母に抱きつきながら「よかったぁ よかったぁ」と泣いてました(>_<)
素敵な姉妹だわ!!
今年は更に70代突入〜というおまけ付き!!
大袈裟なことを嫌う母ですので、普通に祝ってあげようと思います。
でも、叔母の代わりに私が抱きついて泣くかも・・・(>_<)
「それもまたいいかも〜」今、ブログを書きながら思った私です。

ところで先日、関東在住の友人が超久々に「元気?」と連絡をくれました。
私の方が「地震は大丈夫だったか?」と言わなければいけなかった〜
と反省してしまいました。(-_-)
代わりに「鹿児島はいいところだよ 遊びに来てね ^o^」と宣伝!!
かなり興味を示しておりました。

話が飛びましたが、みなさんも
家族・友達・そして大切な人、たくさんいらっしゃると思います。
わたしは「さらに大切にしよう」と思った、今日この頃です。
明日も素敵な一日になりますように・・・

OP maruta

春の風に思いをのせて・・・

「取り留めのない話を聞いてくれて ありがとう」

取材の終わり、時折 葬家様より そういった

お言葉を頂くことがあります。


最後までちゃんとご遺族の話を聞けたな

気持ちをくみ取ることが出来たな…と実感でき、

私と電話の向こうにいるご遺族様の

心と心が繋がった時、「聞いてくれて ありがとう」と

言って頂けるような気がしております。


「ありがとうございました」と、受話器を握りながら

電話越しの相手へ、何度も頭を下げている人、

取材中 葬家様と一緒になって笑い、また大粒の涙を流しながら

発する言葉を一言も もらすまいと必死にペンを走らせる人…


世界にたった一つのオリジナル礼状が出来るまでには

様々なドラマがあり、バトンのごとく色々な人の手に渡っていき

仕上がります。

大切な人が健康で笑っていられること、

今を生きていること、明日がやってくる奇跡。

当たり前だと思っていたことに、しっかりと向き合い

そして感謝できる自分でありたい… そう思っております。


                      op 樋原


さくらだより

南国鹿児島では、梅も盛りを過ぎ、沈丁花はひっそりと花を落とし、
気づけば白木蓮の木にも新芽の緑が。
ぽつぽつと桜も咲き始めて、一昨日はお花見をしていらっしゃる方々も見かけました。
(少々気が早い感もありますが・・・)
春のお彼岸も終わり、春分も過ぎて、どんどん一日一日昼が長くなっていきます。
知らぬ間に季節は移ろっていくんだなぁ、と感じると共に、
今なお凍える寒さの中で震える方を思います。
今回の地震の被災者の方々、そして大事な人を失った方。
肌で感じる寒さも切実でしょうが、
私は心が凍えるのも辛いことだと思います。
その人が、何を辛いと思い、どんな傷・どんな苦しみを抱えているのか、
それは外からではわかりません。
お礼状作成の取材の時もそうです。
それまで淡々と話をして下さっていた方が突然泣き崩れたり、
泣いて泣いて なかなか言葉が出なかったのに
とても事務的にご葬儀の段取りについて説明を求めたり・・・。
「あんなに泣いて、よほど悲しいんだろう」
「涙の一つも見せない、なんて情のない」
一概にそう思うことは とてもできません。
私たち礼状作成スタッフは、僅かな時間、お電話でお話をさせていただくだけですが、
小さな関わりの中でも伝わる『想い』があるからこそ、
そしてそれを伝えたいと願うからこそ、
このお礼状があるのだと思います。
一人一人の力は小さくて、できることは少ないけれど、
お手元に届いた時、ふと笑顔になり、あたたかい気持ちになれるように。
私たちは皆で様々な方の想いを届けていきます。
ちょうどこれから北上していく桜前線のように、
つい先日開通した新幹線『さくら』のように。
鹿児島から日本中へ元気を、そう願っているOP・白川でした。

2011年3月29日火曜日

大切な命たち

震災の大きな被害は、その場に遭遇していない私達でも身につまされるものでした。
現地では言葉にならない程の光景や人々の願いに、ただただ涙が溢れてきます。
被害に遭われた方々の映像の中で、犬や猫や鳥の姿にも目が留まりました。
人々の心を癒してきたたくさんの動物たち。。。


互いが家族として 、癒やされる光景のひとつとして過ごしてきた月日には
通い合う『心』が存在していたと思います。
今も動物たちが言葉にならない声で助けを求めていることに
どうか、どうか多くの命が助かりますように。。。と願う毎日です。

ope 木原

2011年3月21日月曜日

おばあちゃん、そんなこと言わないで!





いまだ被害者の数さえ特定できない、未曾有の大惨事となった
『東北地方太平洋沖地震』
ある日、ふと目を止めたテレビの被災者インタビューに、涙が止まらなくなりました。
80歳くらいのおばあちゃんがつぶやいた言葉です。
「何もない、家もない、生きていて良かったんだろうか…」
しばらく沈黙が続き、おばあちゃんの優しい瞳から こぼれ落ちた大粒の涙。。。
その時一瞬映ったリポーターのマイクを握る手が震えていました。
おばあちゃんと一緒になって泣いているのだとすぐにわかりました。

被災に遭われた方同士、力強い言葉で励まし合ってはいても、このおばあちゃんのように心のどこかでは自暴自棄になっている方も少なくないはずです。
でも、おばあちゃんが発した言葉の意味は、若い人が言うのと違うのかもしれません。
「私が生きていても働けるわけではないし、みんなのお世話になるだけ…」
そう考えて、虚しくなったのだと思います。
人は大きな悲しみが訪れると、自分がどんなに小さな存在かを実感するものです。
未来ある若者達がこの復興の大きな軸になっていくのでしょうが、私はこの放送を見て、かつて戦争を経験したお年寄りにどうか思い出してほしいと思いました。
自分達が今の日本を切り開いたのだということを。
日本人が勤勉で働き者だと言われるようになったのも、その世代の影響が大きいのではないでしょうか。だから日本はこんなちっぽけな島国で、目覚ましい発展を遂げられたのだと思います。












今はテレビも『震災』一色ですが、本当に大変なのは今ではありません。これからです。気の遠くなるような日々が続くと思います。だからこそ、このおばあちゃんのように心が折れてしまう方を少しでも減らせるように、今は安全な場所にいる私達が考えていくべきだと思いました。押しつけではなく、本当は何を必要としていて、何をしてあげることが最善なのか。
津波でバラバラになった家の惨状を見て思います。
「あぁ、この家も思い出が流されてしまったんだ…」
お金も大事です。でも写真も手紙も二度とかえってこないのだと気付いた時、胸が痛くて仕方ありませんでした。あとは記憶だけです。
その試練がどんなにつらいものなのか、同じ経験をすることでしか理解してあげられません。
だからこそ、今は励ましのメッセージを送ったり、本当に復興がすすむまで、自分にできることを考え、
行動していきたいと思います。
『明日は我が身』

今も被災地や原発で、見ず知らずの人々を助けるために奔走している方がおられます。
そんな方々の心は本当に崇高だと思います。
人の命に寄り添う仕事をしている私達ですから、他の誰より人の痛みを知らなくてはなりません。
帰る場所があって、毎日温かいご飯が食べられる自分がどれだけ幸せなのか。
私は今の気持ちを忘れないように、この震災の記事が載る新聞を復興が果たされる時まで
ずっと目につくところに置いておこうと決めました。もうひとつは自分のために買い占めという浅はかな行動に走らないこと。関東、東北の親戚家族のため、支援物資のためならば仕方はないでしょうが、他の地域でそんなことが起これば、本当に必要な場所へ届けられなくなるということを、なぜ考えられないのでしょうか。
これには憤りを禁じ得ません。

一人一人ができることは本当に小さなものかもしれませんが、それが何百人、何千人の輪になって大きな力になることも改めて実感しました。
決して人事ではない震災。被災者以外で真剣に考える人が多ければ多いほど、未来は明るく、日本はますます素晴らしい国になると感じた、大きな大きな出来事でした。


重たい内容になってしまいました(^_^;)
長々と読んでいただいて、ありがとうございました。

お礼状制作部 篠原




2011年3月14日月曜日

大切なメッセージ、確かに受け取りました

このサイトを見ていたら涙が止まらなくなって、言葉が出なくなってしまいました。
他の方にも見てもらえたらと思い、ブログからリンクを貼ってみた次第。
短い言葉に、人の気持ちや優しさ、思いやりの心が ぎゅっと凝縮されています。

地震発生後、Twitterで投稿された 心に残るつぶやき

命の危険を顧みず、原子力発電所で作業をしている人。
被災者を1人でも多く助けようと、現地で救助活動にあたっている人。
水道・電気・ガスといったライフラインの復旧に全力を尽くしている人。
困っている人のために品物を届けようと、品物を集めたり、届けに向かっている人。
被災の現場や報道の最前線に立って、私達に正確な情報を一早く伝えてくれる人。
見えないところで頑張っている人が、大勢いらっしゃるのです。
その原動力であり すべては、みんなのために。
『助け合い(愛)』の精神は不滅です。日本人でよかった。心から そう思います。

だから私達も、頑張ろう。どんな形でお役に立てるか分からないけれど、自分にできることを精いっぱい。

                            江口@オペレーター

2011年3月6日日曜日

社内校正

作成した原稿を斎場やご喪家様へ
お送りする前に必ず行われる社内校正。
誤字脱字などミスを防ぐ、いわば
「最後の砦」となるため、大変責任の
重い役目ではありますが、同時に私は
大きなメリットも感じております。
それは、異なる人が作るさまざまな
テイストの文章に触れられるという点。
そこから刺激を受け、アイデアをもらい
今後のよりよい文面づくりに生かす、
校正はそのための またとない機会でも
あるからです。

先輩方からは言い回しの妙を学び、
「お礼状とは、あくまでも会葬して
 下さる方々への御挨拶であるべき」
という原点や初心に改めて気づかされ、
とかくご遺族様の感情に偏ってしまい
がちな自分の文章を正してくれます。

そして入社してまもない方が書かれる
形にとらわれない自由で独創的な表現に
感心させられることも少なくありません。

「良いお礼状とは何か」
確かな答えがあるわけではありませんが、
それを自問自答し続けることに意味が
あると信じ、日々励んでまいります。


お礼状制作部 小林

2011年3月4日金曜日

日常の1コマ

日々礼状作りに携わる中、ご喪家様よりたくさんのお話を伺います。

故人様への募る想いを切々と語られる方、

数えきれないほどの思い出を大切にお話し下さる方…。

その内容は、まさに十人十色です。

最近 心に残っているのは、とある故人様の娘様より伺った

「母は私達が小さい頃はパン屋に勤めていて、香ばしいかおりと共に帰宅するのを

毎日心待ちにしていたんですよ」というエピソード。

日常のワンシーンを切り取った一言でしたが

聞いた瞬間に、頭の中にパンを焼いた時の豊かなかおりが広がり

故人様の優しい面影だけでなく、

ご家族様がどれだけお母様を愛していたのか

という気持ちまで手にとるように伝わってきました。

同時に、そんなさりげない場面までも記憶に留めている

娘様の感性にただただ感心するばかり。

「とても素敵なご家族様だなぁ」と心を和ませてしまいました。


礼状の取材というと、何か特別な思い出を語らなくちゃいけない

という先入観を持たれがちですが

ご家族様達が「見慣れた光景」と思っている部分であったり

まぶたの奥に残っている面影や

匂い、声色や言葉など、触れ合った時に抱いた感覚の中にも

その人らしさが息づいているように思います。

そして、取材時に「その人だからこそ発せられた言葉」を

引き出すことが出来たときに、この仕事の醍醐味を感じます。

そんな瞬間をよりたくさん迎えることができるよう

精進しなくては…と考える次第です。



話は変わりますが…昨日はひな祭りでしたね。

一昨日はオペの仲間達とひな祭り♪

昨日は我が家で、ちょっぴり ひな祭り気分を味わいました★

カルディで買ったこのワイン。

ほんのりピンクで桜が浮いてる、こじゃれたヤツです。

















ジュースのように甘くて、味も最高!

まさに五感で楽しめる一本でした。

また買いにいこ。。。


九州新幹線全線開通を心待ちにしているオペレーター石堂でした。

2011年3月2日水曜日

どうか、いつまでも お元気で…

四国・徳島県にある上勝町という町をご存知の方は、どれだけいらっしゃるでしょうか?
人口のほぼ半数が65歳以上の高齢者という、高齢化が進む町なのですが、つまもの(和食の器に彩りを添える、季節の葉や花など)のビジネスでメディアに取り上げられ、一躍 有名になりました。
以前、糸井重里さんのHP 『ほぼ日刊イトイ新聞』で発見して中身が気になり、本まで買ってしまいました。
買って損はなかったと、今でも思いますし、時折読み返してしまいます。















『いろどりの写真集』
元気なおじいちゃん・おばあちゃん達の笑顔が上勝町の豊かな自然と共に綴られ、読んでいると、いつの間にか 頬がゆるんで笑顔になってしまう一冊です。

この本には、『いろどり』についても触れられています。
最初から万事うまくいったわけではなかったこと。
現場を知って研究し、買ってもらえる品を出したこと。
お客様のニーズに応え続けていくこと。
私達が作るオリジナル会葬礼状も、現在のように 多くのお客様へ受け入れられるには時間がかかったことを思いますと、いろいろ考えてしまいます。

なお、町の魅力もつまった『いろどり』を もっと知りたい方は、下のバナーをクリックしてみて下さいね(別ウィンドウが開きます)

 以上、オペレーター 江口でした。

そんなに遠くない過去のこと



私の手帳には、一枚のメモが挟んであります。



これは、私が入社して間もない頃、OPの岩島さんから もらったメモです。
お礼状を書き始めて数週間目という、まだまだ右も左も分からない状態の時でした。
岩島さんは葬儀社の方から頂いた伝言を書き留めて、私に渡してくれました。



ご喪家様が喜んで下さったこと、
出棺の際に会葬者の方々の前で読み上げて下さったこと、
お礼状を棺に納めて下さったこと、
が書いてあります。

これを見た時、一番最初に感じたのは、喜びよりも衝撃だったように思います。
それからじわじわと実感が湧き、嬉しいと思うと同時に、
自分が関わっている仕事の重みを改めて実感しました。

棺に納めて下さったということは、天国で読んで欲しいと思って頂けたからでしょうか。
読んで欲しいと思って頂けるほど、ご家族の思いを伝える文章が書けたのでしょうか。

このメモを見るたび、答えの出ない自問を繰り返して
身を引き締めております。


「喜んでもらえた文章は、別のフォルダに分けておいて
 時々読み返すと自分の励みになりますよ」
と 先輩に教えてもらった通りに実行し続けてはや数ヶ月。

少しずつですが、フォルダの中身がたまるごとに
頑張ろうという気持ちになるOP 井上でした。